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8ミリカメラの達人 神山 隆彦

プロの映像制作者になって再発見した8ミリ映画のよさ

掲載日:2006年11月24日 テーマ:映像、8ミリフィルム

ニュース映像編集者時代

ニュース映像編集者時代

ロイター通信社のテレビ部門、編集担当者となった私は毎日日本で起こる出来事をわかりやすく映像にまとめ毎日衛星放送にのせて世界各国へと配信するのが主な仕事であった。
また各国の放送局が日本で取材した映像を編集して効果音やナレーションをつけて完成させ衛星で本国に送り届けるという業務もこなしていった。
ここではベストな映像を短時間に判断して切り取る感覚や機材を手足のように迅速にかつ確実に操作する技術、そして仕事を依頼する各国のプロデューサーの言葉を即座に理解し、希望どおりの映像に仕上げる語学力が求められた。いままで培った技術、語学力を生かす事のできる仕事であった。

何かが物足りない……

最新鋭の機材を駆使してニュース映像を編集していたが、何か物足りないと思い始めた。
仕事として「こんなもんだ」と思えばよかったのだろうが、趣味として映像を20年以上やってきた私にしてみると、あまりにカンタンすぎるのが不満だったのである。プロの世界とはいえ、家庭用のビデオカメラ同様、撮影が済んだビデオテープを、ピッピッピッと編集すれば完成なのである。以前はフィルムの短さやフィルムの感度、カラーバランスを気にしながら真剣に考えて撮影していたが今は全く心配することもなく高画質が得られ、おまけに現像がいらないからすぐに結果が見られ、編集も以前はハサミでフィルムを切って、ノリでつけたりしたものが、最近はコンピューターを使ったノンリニア編集のおかげで簡単に映像を入れ替えたり、長さを縮めたり、特殊効果をかけたりすることができるようになった。
時代が変わったと言えばそれまでだったが、「自分にとっての映像とはこんなものではない」とかつて自分がやっていた8ミリを自然と恋しく思うようになっていった。

温故知新

温故知新

プロの最先端の機材を仕事で毎日使っていながら、アマチュア映像の初歩とも言える8ミリフィルムをもう一度やってみたいという気持ちは徐々に強くなっていった。それは決して時代遅れのシステムに戻りたいからではなく、現在忘れかけられた「考えながら撮る」、「慎重に撮る」、「じっくりと時間をかけて創作する」という感覚を再び取り戻したかったからであった。
そして実行へと移すべく、カメラ店やメーカーなどを調べて回った。
すると8ミリを取り巻く環境は想像を絶するほど悪くなっていた。当たり前かもしれないが時代遅れの8ミリフィルムのシステムは絶滅の危機を迎えていた。
多くのフィルムは製造中止、現像も一部を除き終了、機材は20年以上前に製造中止、一部のメーカーは倒産、修理するにも部品もなく担当者も定年を迎え既に退職などなど厳しい現実となっていた。
一度はあきらめかけたが、何とかして8ミリを復活させたいという思いと、ちょうどその頃世の中に広まり始めたインターネットの情報力や新たに知り合った人たちのおかげで、次第に8ミリを取り巻く環境に明るい日差しが見え始めた。

このコラムの著者
8ミリカメラの達人 神山 隆彦
8ミリカメラの達人

神山 隆彦

小学5年生で8mm撮影デビュー。外国TV局の仕事を経て、現在は東京都で8mm機材を扱う会社を経営中。 [プロフィール詳細]