Yahoo!セカンドライフ
8ミリカメラの達人 神山 隆彦

大学時代「ビジネス」と「映像」と「語学」の融合

掲載日:2006年9月28日 テーマ:ビジネス、語学、海外

初めてのビジネス

商売をしないかと、なじみのビデオ機材店から話を持ちかけられ大学1年の秋、私のビジネスはスタートした。ビデオ専門雑誌に「特機」と呼ばれる業務用のビデオ機器の広告を載せ、注文を受け発送するといういわゆる通信販売のビジネスであった。当時(1985年頃)今ほど高画質の機器は少なく、購入できる所も少なかったため通信販売で購入できることは画期的であった。こちらも実際に撮影をする立場でもあったので、的確なアドバイスを顧客にすることができ大変重宝がられた。顔の見えない通信販売で高価な物を扱う関係上、どのようにすれば買ってもらえるか、どのようにして信用を得るかを身をもって学ぶことができた。また自分自身のビデオ機器の知識向上にも多いに役に立った。
この商売はだんだん忙しくなり、当時誰も持っていなかった携帯電話(肩からさげる弁当箱)を持ち歩き、通学途中もキャンパス内でも注文の電話を受けるようになっていった。今でこそ学生が携帯電話を使っているのは普通だが、当時はまわりからジロジロ見られ恥ずかしかったのを今でも覚えている。

外国テレビの取材班アシスタント

外国テレビの取材班アシスタント

そんなある日、大学から家に帰ると英語の留守番電話メッセージが入っていた。
電話の主は日本在住のアメリカ人。海外テレビ局の日本取材を担当している人であった。知人を通じて「英語ができて、撮影に詳しく、機材のことに詳しい人」という条件でアシスタントを探しているところであった。自分にぴったりの条件で話はすぐにまとまった。今まで培ってきた語学と映像が融合する形となり感慨無量であった。

アメリカの3大ネットワークのABC、CBS、NBCをはじめ、CNNやイギリスBBCの日本側取材クルーとして、カメラ、音声、通訳、翻訳、コーディネート、車両の運転など何でもこなした。雲仙普賢岳噴火、衆参同時選挙、終戦50年番組、伊藤みどり選手のドキュメンタリーなどを担当した。
実際のプロの現場での高度な放送技術や迅速に正確に処理する英語力など、貴重な経験を積むことができた。

ヒマさえあれば海外を放浪

ヒマさえあれば海外を放浪

外国用テレビの仕事で稼いだ給料はすべて夏休み、冬休み、春休みを利用した海外での放浪の旅に注ぎ込んだ。
最初の頃の行き先はアメリカが中心であったが、大学でドイツ語を習得するにしたがってヨーロッパに目が向くようになっていった。そしてヨーロッパをバックパック1つで貧乏旅行中にあるドイツ人と知り合い、意気投合して休みがあるごとに何年も彼のドイツの実家にころがりこんでは、あつかましくホームステイするようになった。(実は現在でも続いている)最初はほとんどドイツ語が話せなかったが、大学での厳しい授業のおかげで基礎は頭に入っていたので、何回も行っているうちに耳からドイツ語を覚えるようになり、何の不自由もなく話せるようにまでなった。ドイツで泊めてもらったお礼に得意分野である電話や電気の工事をして技術系専門用語を学んだり、日本の料理を紹介しては料理や材料の名称を学んだりした。普通の大学での授業だけでは習得しきれない多くのことをこの大学時代の「海外放浪生活」で学んだような気がする。

そうこうしているうちに大学の卒業の時期が近づいてきた。
時はまさに「バブル」真っ盛り。売り手市場で就職先はいくらでもあった。
しかし自分のビジネスを持ち、さらに先の外国テレビの取材班アシスタント業もやり、一般サラリーマンの3倍の給料を取っていたため、そのまま就職する気にはなれず、自分で会社を興すことにした。
(と、ここまではかっこよかったが、このあと大どんでん返しが待っていた)

つづく

このコラムの著者
8ミリカメラの達人 神山 隆彦
8ミリカメラの達人

神山 隆彦

小学5年生で8mm撮影デビュー。外国TV局の仕事を経て、現在は東京都で8mm機材を扱う会社を経営中。 [プロフィール詳細]