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8ミリカメラの達人 神山 隆彦

時代に大逆行! 前代未聞の超アナログ専門店開店

掲載日:2007年1月25日 テーマ:8ミリ , 通信

サラリーマン8ミリ屋さん

サラリーマン8ミリ屋さん

雑誌の広告で8ミリの衰えぬ人気を実感した私は通信社に勤めながら、8ミリ機材を通信販売で販売するという前代未聞の商売を自宅で始めた。屋号は「レトロ通販」。
昼間は本業があるため、電話は「秘書代行センター」なるところで伝言を受けてもらい、こちらから後で連絡するという今から思うと相当にあやしい商売であった。しかし今どき商売になりにくいレトロな8ミリのお店という事情をお客さんもよく理解してくださり、思いのほかスムーズな滑り出しであった。
当時の本業であった通信社でのシフトは早朝5時からの勤務で、おまけに夫婦共働きだったために朝4時に起きて通勤途中にまだ小さかった子供を預けに行き、日中仕事をこなし、午後本業が終わってから副業をこなして夕方子供を引き取り、その足で宅配便の発送を済まし、家に帰って子供の夕飯を作り、子供をお風呂に入れ、そのままエネルギー切れで寝てしまうというハードな生活ではあったが、充実した毎日であった。

いろんな世代の顧客層

いろんな世代の顧客層

商売を始めてわかったことは、利用されるお客さんが大きく分けて3つの世代に分かれるということであった。
1つはシニア世代。かつて8ミリが全盛であった昭和30〜50年頃に趣味や家族の記録のために8ミリをこよなく愛していた世代だ。その方々のほとんどが家の押入に家族の記録を写したフィルムが段ボール箱に山ほどあり、それを見るための映写機が経年変化で動かなくなったため修理を依頼されたり、DVDへの転写を依頼されたり、新たに映写機を買い求められるというケースがほとんどである。会社を定年退職し自由な時間がある方々が、古いフィルムを整理してお盆や正月に親戚や孫たちを呼んで大映写会をされているようだ。
2つ目の世代は30代後半から40歳代の人たち。この世代の人たちは学生時代に8ミリを経験しつつも、経済的に当時自由にカメラや映写機を買うことができないまま時代はビデオに移っていった世代である。私もこの世代に入るが、学生時代に果たしきれなかった夢を経済的に余裕の出てきた現在に叶えたいという世代だ。その人たちの多くが映像関係やクリエイティブ関係に進んでいることもあって、ミュージッククリップやプロモーションビデオ、TVコマーシャルの分野に8ミリを取り入れ、ビデオとはひと味違った雰囲気の映像を作り出している。
残る3つ目の世代は、20代前半の学生たち。この世代になると8ミリという物を全く知らず「フィルム」を「テープ」と呼び、「シャッター」のことを「Recボタン」と呼ぶ。8ミリフィルムの映像を「かっこいい」「映像がシブい」という感覚で興味を持ってくれる。彼らにしてみるとデジタルの次に新たに出現したフォーマットとしてとらえているようだ。確かにどこもかしこもデジタル映像一辺倒の現在の世の中においては、8ミリのあたたかく、どこかなつかしい映像は新鮮だったのだろう。

通販専門から店舗販売へ

通販専門から店舗販売へ

ありがたいことに数多くのお客さん、多くの世代の方々に利用していただくようになっていった。しかしそうなってくると、どうしても自宅を使った通信販売だけでは対応しきれなくなっていった。
また扱う商品の数が増え、自宅では収納しきれなくなってきていた。
そこで自宅と当時の勤務先とのちょうど中間地点である錦糸町(東京都墨田区)に、6坪ほどの小さな事務所を借りることにした。お金もなかったので裏通りにあるちっぽけな所をあえて選んだ。最初は店舗としてではなく倉庫・物置のつもりで借りたのだが、お客さんから「実際にカメラが見たい」、「フィルムの入れ方を教えてほしい」、「映写機の扱い方を教えてほしい」等、電話や手紙では説明しきれないことが多くなってきたため、店舗としても活用し始めた。私が日中会社勤めをしている間は、かつての8ミリマニアで、勤めていた会社を定年退職された方にお願いした。
サラリーマンとして会社勤めをしている時には感じることのできなかった仕事の「楽しさ」「やりがい」「充実感」を実感し、毎日があっという間に過ぎていった。
こうして私の趣味から始まったビジネスはだんだんと本格的な形となっていった。

つづく


このコラムの著者
8ミリカメラの達人 神山 隆彦
8ミリカメラの達人

神山 隆彦

小学5年生で8mm撮影デビュー。外国TV局の仕事を経て、現在は東京都で8mm機材を扱う会社を経営中。 [プロフィール詳細]